愛情の花咲く樹 - シュキ&アビバ(SHUKI & AVIVA)
2013-01-09 Wed 04:50
愛情の花咲く樹

シュキ&アビバとはなんとも変わった名前だが、この男女の二人組み以前にもこの当時日本ではヘドバとダビデというイスラエル系の二人組みの男女が「ナオミの夢」という曲をヒットさせていた。

そして、それにつづく同じイスラエル系のデュオがこの2人でジャケット右に立っている男性がイスラエル人のシュキでその手前に座って微笑んでいる方がフランス人のアビバだ。

この曲は外国人が歌っているにもかかわらず日本語で歌われており、当時はよくベッツィ&クリスやグラシェラ・スサーナやペギー・マーチ、アダモなんかの外国人が日本向けに日本語の歌を歌っていたものだった。

この二人はもともとれっきとしたミュージシャンでロンドンで超ロングランを記録したミュージカル「カジノ・トロピカル」やあの有名な「ヘアー」にも出演していたそうだ。

その「ヘアー」で共演したのがきっかけでデュオを結成することになったようだが、他にも俳優やダンサーとしてもスクリーンやステージで活躍しているようでライザ・ミネリなんかとも共演した経験があるようだ。

彼らの曲でフランス語によるものは他にも数曲はあるようだが、日本語の曲は筆者の知る限りでは1974年のこの一曲だけしかない。

それ以降の活動はシュキの方は作曲家や映画監督としても活躍し日本の子供向け番組の海外版の音楽も担当して成功されているようだが、あの伊藤咲子の「ひまわり娘」なんかの楽曲も彼の作品のようでアビバの方は、1999年に麻薬かなんかで亡くなっているようだ。

作詞はその後、めきめきと頭角を表してくる阿久悠で作曲はこのデュオの片割れであるシュキの作でこの曲はどうも1973年に開催された東京音楽祭にエントリーされた曲のようだが、フォーク調のとても歌いやすい歌で当時けっこうヒットした曲だ。

愛情の花咲く樹



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フリッパーズ・ギター(The Flipper's Guitar) - カメラ・トーク
2012-12-23 Sun 13:54
フリッパーズ・ギター(The Flipper's Guitar) - カメラ・トーク     1990     ☆☆☆☆

カメラ・トーク

1. 恋とマシンガン
2. カメラ!カメラ!カメラ!
3. クールなスパイでぶっとばせ
4. ラテンでレッツ・ラヴまたは1990サマー・ビューティー計画
5. バスルームで髪を切る100の方法
6. 青春はいちどだけ
7. ビッグ・バッド・ビンゴ
8. ワイルド・サマー/ビートでゴーゴー
9. 偶然のナイフ・エッジ・カレス
10. 南へ急ごう
11. 午前3時のオプ
12. 全ての言葉はさよなら

ロックがなぜロックなのかなどと言われててもそんなことは誰にも分からないのと同じでシブヤ系がなぜシブヤ系なのかということと同じだ。

シブヤ系 - とは、東京・渋谷を中心に1993年から1996年に流行したとされる、日本のポピュラー音楽(J-POP)のひとつのジャンルで渋谷系サウンドともいう。

ということで一過性の音楽であったことは確かなようで今では聞かないことばであるのも確かだ。

このバンドはもともと小山田圭吾結成していた"Pee Wee 60's"に小山田と中学で一緒だった小沢健二らが加わり"ロリポップ・ソニック"に改名し、さらに89年のデビュー時に"フリッパーズ・ギター"と新ネームを決定しその時、他のメンバーは脱退し小山田と小沢の二人組みとなった。

順調に売れ行きも伸びて渋谷系ムーブメントの代表格として話題を振りまいたが、91年9月19日、ラジオ用の公開録音を最後に突然解散してしまう。

解散理由もいたって簡単で「やめたいなあ」、「じゃあ、やめようか」ということでいかにもあっけらかんとしたものだった。

クラシックの小沢征爾を叔父に持つ小沢健二とマヒナスターズのメンバーが父だという小山田圭吾は当時イギリスで流行っていたネオアコをベースにドライで嫌味がなくそれでいてちょっっぴり毒気のある雰囲気でデビュー・アルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」は発売された。

このアルバムは全曲英語で発売されており、今でこそ日本人の英語の曲も普通になってきたが、当時としては英語によるオリジナル曲で発売するということにはけっこう抵抗もあったと思うが、二作目のこのアルバムは日本語で制作されている。

ブラシによるハイハット、フレンチ・ポップスのような軽いサウンドでヒットした「恋とマシンガン」は、60年代を思わせる都会的でおしゃれなサウンドでどこかで聴いたことのあるようなサウンドではあったが、それは今までのどこにもない新しいサウンドで彼らのどこか少年っぽいあどけなさが素人っぽい魅力を引き出していた。

恋とマシンガン


カメラ!カメラ!カメラ!





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あの日にかえりたい - 荒井由実
2012-12-19 Wed 13:11
あの日にかえりたい

ジョニ・ミッチェルの歌に「青春の光と影」という傑作があったが、この歌もそれに引けをとらない傑作で日本の音楽史に名を残す傑作だ。

この年、彼女は「いちご白書をもう一度」「ルージュの伝言」そして「あの日にかえりたい」と立て続けにヒットを放ちここからユーミンブームに火がついた。

「ニューミュージックって言葉は嫌いなんだけど、まあ、こういう音楽は私がはじめてなわけでしょう。私、ゼロからはじめたんだもの。だから過去のものとは較べようがない」

とはユーミンの自伝「ルージュの伝言」の中の言葉だ。自分の音楽は今までに例がなく自分から始まっている。そんな強烈な自信はやはりジョニ・ミッチェルにも通じるところがある。


  泣きながら ちぎった写真を
  手のひらに 繋げてみるの
  悩み無き 昨日のほほ笑み
  わけもなく 憎らしいのよ
  青春の 後姿を
  人は皆 忘れてしまう
  あの頃の私に戻って
  あなたに逢いたい

暮れかかる 都会の空を
  想い出は さすらってゆくの
  光る風 草の波間を
  駆け抜ける 私が見える
  青春の 後姿を
  人は皆 忘れてしまう
  あの頃の私に戻って
  あなたに逢いたい

  今 愛を棄ててしまえば
  傷つける人もないけど
  少しだけ滲んだ アドレス
  扉にはさんで 帰るわ あの日に

しかし、なんという素晴らしい歌詞が書けるのだろう。

「泣きながら ちぎった写真を 手のひらに 繋げてみるの」「青春のうしろ姿」「少しだけ滲んだ アドレス」こんな歌詞はそれまでにはなかったと思うし、他のだれも書けない歌詞だ。

中々売り出せなかったバンバンが何とかしてユーミンに楽曲の提供を願ったのもわかる気がする。

あの日にかえりたい







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ちあきなおみ - Vertual Concert
2012-12-02 Sun 14:20
ちあきなおみ - Vertual Concert    2003      ☆☆☆☆

ちあきなおみ VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家

1. 百花繚乱
2. かもめの街
3. あなたのための微笑み
4. イマージュ
5. 祭りの花を買いに行く
6. ダンチョネ節
7. 紅とんぼ
8. 酒と泪と男と女
9. 東京の花売娘
10. ひとりぼっちの青春
11. スタコイ東京
12. 黄昏のビギン
13. 朝日のあたる家(朝日楼)
14. ラ・ボエーム
15. アコーディオン弾き
16. プラットホーム
17. 喝采
18. 紅い花
19. 伝わりますか

"ちあき" と "なおみ" 名字がなくて名前が二つあるような歌手だが、若い人たちにはコロッケのモノマネでしか記憶がない (これも古い) 人かもしれない。

彼女は東京都板橋区に三人姉妹の末っ子として生まれ、おさないころより芸事の好きな母の影響で歌や踊りを習い、十代のころには一家の稼ぎ頭として全国をまわっていたという。

その後コロンビアのオーディションを受けて作曲家鈴木淳の元で手ほどきを受け1969年に「雨に濡れた慕情」で歌手デビューを果たす。

ちなみに名前の由来は、当時のフジテレビプロデューサー千秋予四夫のせんしゅうをちあきと読ませ、坂本龍馬の本名直柔からなおみとしたそうだ。

デビューしたころの69年当初はポップス系の歌手だったが70年代中ころからは船村徹などの演歌からジャズ、ファド (ポルトガル民謡) 、シャンソンから女優まで、なんでもこなす人でご主人 (郷 鍈治) を自身が歌った歌 (喝采) そのもののように92年に肺がんで亡くしてしまいそれ以来人気絶頂期に突然引退してしまって多くのファンを嘆かせた。

以来20年間、一切の芸能活動はしていないのだが、このアルバムは今までにあった曲を寄せ集めてコンサート風に仕立て上げたアルバムで (あまり関係ない話だが、ジャケット写真のちあきなおみは、やはり名前だか姓だかわからないようなボーイ・ジョージによく似ている)

中身の方もやはりたいへん多彩でチャゲ・アスや小椋圭のようなポップスから船村演歌、友川かずきや川島英五のようなフォーク系、民謡、ジャズ、シャンソンまで幅広い。

これほど幅広いジャンルをうたいこなせたのは他には美空ひばりしかいないと思うしもっと評価されてもおかしくない歌手だ。

黄昏のビギン 永六輔:作詞、中村八大:作曲 無意識に外国の曲だと思ってました・・・異国情緒がありますね。


朝日のあたる家(朝日楼)1960年代にアニマルズでもヒットしたアメリカ民謡。やはり、女優が歌うと説得力が違う。


喝采 これですね。コロッケのモノマネは・・・
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ワインレッドの心 - 安全地帯
2012-11-24 Sat 04:44
ワインレッドの心

この曲は元井上揚水のバック・バンドを努めていた安全地帯の名を一躍全国に広めた1983年の大ヒット曲で当時カラオケなんかに行けば必ずだれかが歌うカラオケの定番としても有名だった。

もとは北海道の旭川の田舎で活動していたが、79年幸運にもカルメン・マキ&オズの旭川、札幌公演の前座に抜擢され、キティ・レコードから契約の話をされ上京するも中々レコーディングまではいかなかったようだ。

もともと彼らはその後の彼らに見られるようなポップスのバンドではなくレッド・ツェッペリンやオールマン・ブラザースのような演奏を得意とするハード・ロック系のバンドで方向転換するにも時間がかかったようである。

そこで修行も含めて井上揚水のバック・バンドとして全国を一まわりしてこようということになったらしいのだが、玉置はそのあいだにも曲をたくさん書きつづけていたようでボツになった曲はゆうにアルバム4枚分はあったそうだ。

それほどたくさんの曲の中にあったのがこの「ワインレッドの心」でキティ・レコードがCM制作会社に聴かせたところ「すごい曲を書く人を見つけてきたね」といって評価されサントリー・ワインの CM の話につながったそうで作詞はバック・バンドとしての縁もあって井上揚水が担当した。

さすがにメロディはもちろんのこと歌詞も少し哀調を帯びたメロディによく合っていてゆらゆらと揺れるような曲の感じがいかにもエロチックで心地良いのだ。

ワイン・レッドの心

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