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詠み人知らず (作者不詳)の唄 異国の丘
2012-08-13 Mon 14:31
詠み人知らず (作者不詳)の唄 異国の丘

中世の和歌集や昔からの民謡なんかに「詠み人知らず」という作者不詳の唄はよくある話なのだが、演歌の世界なんかでも昭和の中ごろくらいまではよくある話であった。

この作者不詳の唄といわれ全国に埋もれていた唄たちがレコード歌謡の世界に最初にあらわれたのは、昭和 36 年の「北上夜曲」と「北帰行」からだといわれている。

いかにも格調の高い「北上夜曲」なんかは、さぞかし立派な作詞家先生の作品かと思いきや以外と岩手の山の中の当時十代であった二人の少年の共作だったわけだったし、「北帰行」なんかも旧満州国の旧制旅順高等学校の寮歌だったりして両曲とも昭和 30 年ころ全国で流行っていた歌声喫茶から人気がでてきたものらしい。       

そしてバタヤンこと田端義夫が発掘したといわれる「島育ち」などはその後、奄美大島や沖縄民謡への関心を引いたわけで、もう少し庶民的になると全国の遊里、花柳界で歌われていたという「お座敷小唄」なんかは、和田弘とマヒナ・スターズの一行が広島のバーで流しが歌っているのを聴いて松尾和子に歌わせたら大ヒットしたという例でやはり人の心に残る歌は歌いつがれて自然に広がっていくということなのだろう。

そしてなんといっても鼻唄まじりのようなのんきなものではなく、マイナス 40 度という厳寒の地であるシベリアで筆舌に尽くしがたい苦難を味わい、国に残してきた両親や恋人は無事か、家は残っているかなど、さまざまな思いを胸に人から人へと歌いつがれたこの歌は忘れることの出来ない名曲だろう。

終戦後の昭和 23 年 8 月 1 日ラジオの素人のど自慢でひとりの復員兵が歌った「異国の丘」はそれまで日本ではだれも聴いたことのない曲ながら、戦後の混乱冷めやらぬ状況の中、ラジオで「尋ね人」が放送されていたこともあって大きな反響を呼んだ。

今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る

という詞の内容は戦地に出たまままだ帰ってこない息子や夫の安否を気遣う人々はもちろんのこと、多くの日本人の心を打ち、その後「作詞・作曲者は名乗りでてほしい」という放送がなされて一躍全国に広がった。

この歌はシベリア抑留兵の増田幸治という人がこの歌のもとになる詞を書き、それを聞いた同じ抑留兵で作曲家の吉田正が曲をつけたといわれているが、抑留地ではスパイ容疑がかけられるため字を書くことは出来ず口伝えで兵士から兵士へと広まりそれが日本まで伝わったという話だ。

かつて、淡谷のり子が「今の歌手は、みな歌手じゃなくてカスよ」と言ったことがあるが、昔の人たちが今の歌を聴けばみなカスどころかクズに聴こえるのではないだろうか。

それほどに昔の歌は重さがちがうのである。

異国の丘




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