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国境の町 - 東海林太郎
2012-08-20 Mon 14:44
国境の町

古賀政男が佐藤千夜子の後押しでレコード界にデビューしたのは、昭和 5 年の「文のかをり」という曲で、ヒットこそしなかったものの、当時はまだ浪曲や義太夫、そして外来のジャズ等が主流で、歌謡曲の占める割合はまだ低くあまり大きなヒット曲もあった時代ではなかった。そのような過度期に古賀があらわれたことは彼にとって幸運なことであった。

この昭和初期の日本の社会情勢は、関東大震災を初め世界的な大恐慌のあおりを受け大変な不況が襲うお先真っ暗な時代であった。

そして、古賀に発掘され「上野音楽学校最大の傑作」と呼ばれた逸材、藤山一郎の歌う歯切れの良い明るい歌声が日本中に鳴り響いていたころ、日本は大陸の満州に進出し、それを機に国境とか大陸をイメージした唄が流行し始めた。

小さな島国であるこの日本で国境などという意識はそれまでにはないものであったが、シャン・シャン・シャン・シャンと鳴りひびく鈴の音にあわせて高らかに歌われる東海林の唄は大ヒットし、つづいて、松平晃の「急げ幌馬車」、松平晃・豆千代の「夕日は落ちて」と立てつづけに大陸を連想する歌がつづいたわけである。

この唄はポリドールに乞食同様の姿で売り込みに来た流しの作曲家・阿部武雄の曲に大木惇夫が作詞して完成し、東海林太郎の歌で昭和 9 年に発売されたわけだが、この東海林太郎という人は満鉄の鉄嶺図書館長から 34 才で歌手に転じたという異色の経歴の人で、前作の「赤城の子守唄」で人気を得、つづいてこのすばらしく印象的なイントロの曲「国境の町」で故国を遠くはなれて異国に暮らす男の哀愁をしみじみと歌い大ヒットした。

このヒットのおかげで東海林はポリドールとキングという二社を股にかけ昭和 9 年の一年間だけでもじつに 104 曲というとんでもない曲数が録音されたという。

国境の町
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