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誰か故郷を思わざる - 霧島昇
2012-08-27 Mon 05:23
誰か故郷を思わざる

昭和 15 年という年は、わが国の皇祖、神武天皇より数えて二千六百年ということで「軍歌・紀元二千六百年」という唄が出されたが、今これを聴くとほとんど北朝鮮の唄に聴こえるのは筆者だけではないだろう。

ちょうどその年に制作された飛行機が、あの名機のほまれ高いゼロ戦で、やはり当時は英語は禁止されていたので「零戦」 (れいせん) と呼ばれていたが、何故これが[零戦」と呼ばれたかといえば皇紀二千六百年の末尾の 0 をとって零としたわけで、いかに天皇を戦争のタテマエにしていたかがよく分かる話である。

「金鵄輝く 日本の 栄えある光り 身に受けて・・・」

というこの「軍歌・紀元二千六百年」の「金鵄」にしても神武天皇が敵に弓を向けた時に弓の先に止まった金色に輝く鳥のことをいっているわけで、ホントにこのころの日本は北朝鮮のことなど非難できるような立場ではないことがよく分かる。

だが、この唄もすぐに『「金鵄」あがって十五銭 栄えある「光」二十銭 いよいよあがるこのたばこ 紀元は二千六百年 ああ一億の民が泣く』

という替え歌にされ、ひそかに国民によって歌われていたそうだが、(ちなみに、この「金鵄」と「光」とはもちろんタバコのことで「ゴールデン・バット」と「光」のことである) 唄の歌詞も戦争での士気を高めようとする国の思惑とは裏腹に、ちょうど同じころの昭和 15 年に売り出された「誰か故郷を想わざる」(作詞・西条八十、作曲・古賀政男、歌手・霧島昇) の方に人々の心は向いていたようだ。

花つむ野辺に 日は落ちて

みんなで肩をくみながら

唄をうたった 帰りみち

幼馴染の あの友この友

ああ 誰か故郷を 思わざる

と歌われるこの唄は、作詞:西條八十、作曲:古賀政男、歌:霧島昇で、昭和 15 年 に日本コロムビアから発売された唄で、日本国内よりも大陸に渡り激しい戦火の中にあった兵士たちのあいだで圧倒的に支持され、大戦中に中国へ慰問に行った渡辺はま子が、この歌を歌ったところ、のちに元帥陸軍大将になられた畑俊六さんが「目の前で泣き出されて、わたしも涙声で歌ってしまったわ」と古賀に話したという。

いくら国が見栄を張っていばって士気を高めようとしたころで人の心は優しくもろいものなのだ。

誰か故郷を思わざる









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