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別れの一本杉 - 春日八郎
2012-09-10 Mon 05:28
別れの一本杉

この唄は昭和も中ごろの 28 年に「たそがれのあの人」で作曲家デビューした船村徹の出世作である。

だれでもがそうであるように駆けだしのころには相当苦労したようで栃木県出身の船村は上京して入学した東洋音楽学校で茨城県出身の高野公男と偶然出会ったことから演歌の一つのジャンルである「ふるさと演歌」が出来ることになる。

高野は「東京、東京といっているが、東京に出てきた人間はいつかきっとふるさとを思い出す。おれは茨城弁で作詞する。お前は栃木弁でそれを曲にしろ、そうすれば古賀政男も西条八十もきっと抜ける。きっと地方の時代が来る」と熱く語ったという。

泣けた 泣けた

こらえ切れずに 泣いたっけ

あの娘と別れた 哀しさに

山の懸巣も 啼いていた

一本杉の石の地蔵さんのヨー、村はずれ

作詞・高野公男、作曲・船村徹、唄・春日八郎によって昭和 30 年 12 月に発表された歌だが、当時まだ新人で苦しい生活を余儀なくさせられていた二人がキング・レコードへ売り込みに行き、春日にみせたところ「これは、絶対にいける!『別れの一本杉』でまた勝負だ」といって絶賛し、自ら歌わせて欲しいと申し出たというエピソードがあった。

この唄のヒットがきっかけで高野・船村をモデルにした映画「別れの一本杉」が制作されることになったが、その時、高野はすでに胸をわずらって明日をもしれぬ命で病院に入院していた。

映画が封切られるのは、彼の死後で高野は成功を自分の手ににぎることもなく昭和 31 年 9 月 8 日わずか 26 才の若さであの世へ旅立った。

別れの一本杉 春日八郎
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