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悲しき口笛 ー 美空ひばり
2012-11-22 Thu 20:12
悲しき口笛

「わての歌を歌わんで・・・」と笠置シヅ子に歌うのを封印されていたこましゃくれたジャリ歌手の美空ひばりが初めて世に認められた歌がひばりのデビュー曲の「悲しき口笛」である。

デビューする前のひばりは戦後、再開されたばかりの素人のど自慢に出場し、笠置シヅ子のモノマネで注目された。

「これで子供なのかと、気味が悪いくらい素晴らしい才能だった」と古賀にも絶賛されているが、彼女への評価はまちまちで嫌悪感をモロに出す音楽関係者もいた。

その筆頭が作詞家のサトウ八チローで化け物、怪物、吐き気がする、寒気がする、などのこれ以上ない酷評をした人もいたが、そのような中で先輩歌手の淡屋のり子なんかも笠置とならんでひばりいびりの筆頭のようにいわれていた。

だが、じつは「淡谷は涙もろく人情に厚くて人を信じやすく面倒身も良いらしいのだが、ずいぶん誤解をされて損をしている」とマネージャーが語っていたという。

演歌嫌いの淡谷と湿った日本人の心を歌うひばりとは、まさに水と油のような関係で徹底的に嫌悪したかのように書かれているが、じつはひばりを大変可愛がっていたそうで出演前に劇場の風呂に入りたがるひばりに淡谷は一緒に風呂に入り体をすみずみまで洗ってやったという。

昭和25年にひばりと笠置は相前後してハワイ公演をおこなったのだが、このとき、運悪くひばりが先で笠木が後になった。

ひばりの歌う歌はほとんどが笠置のブギばかりなので笠木から苦情が入るのは当然でこれにはひばりに非がある。

ひばりから相談をうけた淡谷は、十才をすこし越したばかりのひばりに「ひとさまの歌を横どりするのはおよしなさい。歌手として大成したければ誰かのまねっこではなく自分の唄をうたいなさい。どんなにうまく唄ってもニセモノはニセモノです。自分のレパートリーでリサイタルのできる歌手になりなさい」といったという。

そのころひばりには、この「悲しき口笛」しか持ち歌ははかったが、ひばりにとっては厳しくも暖かいまさに淡谷にしか言えないひばりへの忠告だったにちがいない。

この歌は、作詞・藤浦洸、作曲・万条目正によって昭和24年に発売され、それまでおとなたちが異常な化け物でも見るような目で見ていたジャリ歌手の才能を認めていたのは、作曲家の万条目であった。

「人のものまねはいけない、美空の性格がある。魚屋の娘にはジャズ調より流行歌が向く」といってひばりの指導に乗り出したのだった。

悲しき口笛




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