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マイ・ハート・ウイル・ゴー・オン(My Heart Will Go On) - セリーヌ・ディオン(Celine Dion)
2013-01-10 Thu 16:31
マイ・ハート・ウイル・ゴー・オン(My Heart Will Go On)

セリーヌ・ディオンは1968年、カナダのケベック州シャルルマーニュに14人兄弟の末っ子として生まれ、幼いころからその才能は開花し12歳ですでにデビューしていた。

その才能を早くから見抜いていたのがのちにマネージャー、そして夫となるレネ・アンジェリルで1987年に発表した8枚目のアルバム、「インカニート」(Incognito)が地元ケベック州で大ヒットし注目されるようになる。

その後アメリカに渡り、1990年大ヒットした「哀しみのハート・ビート」(Where Does My Heart Beat Now)を収録した初の英語のアルバム、「ユニオン」(union)で一気に名前が知れわたる。

そして1992年アルバム"Celine Dion"からはピーボ・ブライソンとの「美女と野獣」、つづくアルバム"The Colour Of My Love"からは"The Power Of Love"と世界中でヒットを飛ばす。

そしてついに彼女の名を一躍全世界にとどろかせることになったハリウッド映画「タイタニック」の主題歌"My heart Will Go On"が登場することになる。

この映画は1997年に2億ドルという前代未聞の制作費が投じられたジェームズ・キャメロン監督の映画で、その音楽を担当したのが「エイリアン2」や「ブレイブハート」などでお馴染みのジェームズ・ホーナーだった。

感傷的で感情を表に出す曲を作るのを持ち味としているこの作曲家は、この映画のためにも感動を盛り上げ観客の感情を強く揺さぶるメロディを作った。

この映画は、くり返し"My heart Will Go On"のメロディが1時間半以上にもわたって形を変えて流れているため、最後のエンド・クレジットが流れる頃には観客はきっとこの曲に飽き飽きしているだろうと考えた。

当初、この曲はキャメロン監督の「商業的なヒット狙いになるので歌詞はいらない」との理由でメロディだけしかなかったが、そのような理由でその解決策として、ものすごい盛り上がりのあるポップ・バラードに詞を付け加えその曲をエンドクレジットで流し再度観客を感動させようとホーナーは画策した。

作詞は友人でもあり、アカデミー歌曲賞を受賞した「愛と青春の旅立ち」(Up Where We Belong)やエリック・クラプトンの"Tears In Heaven"などを作詞したウィル・ジェニングスに作詞を依頼した。

ジェニングスは数年前に出合った101歳のある女性アーティスト、ベアトリス・ウッドをモデルに彼女が何年も前の出来事を懐古している彼女の視点から詞を書き、そしてホーナーは一番大事なポイントであるシンガーをセリーヌに依頼した。

ホーナーは、その曲をセリーヌが休暇で宿泊しているラスベガスのホテルまで持って行き彼女を説得してデモ・テープを作り監督に聴かせて同意を求めた。

監督はあくまでも映画の中での曲の使用は反対し、結局「エンド・クレジットの流れるところでの使用なら」ということで了承を得、この曲はエンド・クレジットの部分で流されることとなった。(要するに観客が映画を見終わって立ち去ってしまう時だ)

そしてこの曲はそのときにデモ・テープとして録音されたバージョンにそのままあとからオケだけをかぶせて発売されることになった。(セリーヌは録音用としてこの歌を歌ったのは後にも先にもこの時の一度しかないそうで、その歌の解釈と歌唱力には全くもって驚かされる)その曲を含むサントラ盤は3000万枚という大ヒットとなった。

最初からセリーヌの心をとらえたわけではなかったこの曲はいつしかセリーヌ自身をも魅了し、世界の歌姫セリーヌ・ディオンを代表する曲となった。

My Heart Will Go On
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