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ダニー・ボーイ(Danny Boy) - アンディ・ウイリアムス(Andy Wiliams)
2013-01-13 Sun 16:30
ダニー・ボーイ(Danny Boy)

この曲は洋楽を聴く人なら誰もが一度は聴いたことがある曲ではないだろうか?

遠い国の歌なのに聴いているとなぜかジーンとしてくる歌できっと国籍は問わず人類共通の郷愁感のようなものを誘うのだろう。

この日本ではアメリカから多くの音楽が入ってくるため、ついアメリカの歌だと思ってしまいがちだが、実はアイルランドに伝わる民謡で1912年にイギリスのフレデリック・ウェザリーの歌詞が付けられて「ダニー・ボーイ」という曲名になるまでにも多くの歌詞が付けられて歌い継がれてきた曲だ。

この歌は「ダニー・ボーイ」の歌詞が付けられる前は「オー・メリー・ディアー(O Mary Dear)とか「ロンドンデリーの歌」(Londonderry Air)と呼ばれていた歌で、それ以前にも別の歌詞が付けられていたそうだが、1912年にフレデリック・ウェザリーの歌詞にアイルランド出身のシンガー、ジョン・マッコーマックが初めて歌ったとされる。

このように多くのシンガーによって歌い継がれてきた名曲なのだが、実はこの歌の起源はたいへん古く400年くらい前のアイルランドの北部、デリー県にあるデリーという半島に伝わるメロディに詞が付けられたものだという。

その中心にロンドン・デリーという町があるのだが、元々はデリーという地名だったところにイギリス人が渡ってきてロンドンデリーという地名になったそうである。

そのメロディそのものも謎に包まれていてはっきりしたことは分からないらしいが、今から約400年くらい前にその地を統治していて優れたハープ奏者であったローリー・ダール・オキャハンという領主が1608年にイギリスのジョージ一世によって土地を奪われその哀しみを曲にしたものだという。

時は経ち1851年、かつてロンドンデリーの近くのリマバディという町にジェーン・ロスという一人の女性が住んでいてある日、通りを歩いていたらジミー・マッカリーという盲目のフィドラーがこの曲を弾いているのを聴き、彼女はすぐさまジミーのところにやって来てこの曲を採譜し、そしてその曲をダブリンの民謡収集家ジョージ・ペトリという友人に送った。

ペトリはそのロンドンデリーからやってきたその歌を「ロンドンデリーの歌」と名付け、集めた民謡と一緒に1855年に出版した。

時は流れ1912年アメリカのコロラドでこの曲をアイルランド人が弾いているのをマーガレット・ウェザリーという女性が聴き、とても美しい曲だと思いこれをイギリスにいる弁護士で作詞家の兄フレデリックに送った。

この曲を受け取った彼は2年前に書いた「ダニー・ボーイ」という詞を思い出し、その詞を当てはめてみたらちょうどぴったりと当てはまりわずかに詞を書き換えただけでこの歌は出来上がったという。

とにかく古くから歌い継がれ、その時代にあった歌詞が付けられて歌い継がれてきた歌で、他にもアーシリャン・オイガー(若者の夢)とかモジニメーラと呼ばれていたこともあるそうだ。


♪ とき それは戦いのとき

ところ それはアイルランド

最後の薔薇が散った夏

アイルランドの伝説はかく語る

若者たちは自由のため

戦いの地に赴いた

行くものたちと

帰りを待つものたちの歌があった

哀しみの色濃いアイルランドの歌 ♪

Danny Boy
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