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サタデー・ナイト(Saturday Night) - ベイ・シテ・ローラーズ(Bay City Rollers)
2013-01-06 Sun 17:05
サタデー・ナイト(Saturday Night) 

いっとき世界中のティーンを虜にしたボーイズ・バンドがあった。

その人気は本国イギリスのみならずアメリカ、カナダ、日本に始まりタータン・ハリケーンと呼ばれた人気の渦は世界中に広まり第二のビートルズとまで呼ばれた。

そんな彼らの最大のヒット曲が「サタデー・ナイト」だ。

サウンドはポップでキャッチ、ルックスもポップでさわやかで同じ時期に流行っていたキッスやエアロ・スミスのような暑苦しさや毒々しさはなく当時彼らの行く先々には彼らと同じタータン・チェックの服を着たローラー・マニアが押し寄せた。

彼らはそのタータン・チェックの本場ともいえるスコットランドにある古い歴史を持つ街、エジンバラに生まれた。

その街から生まれ世界に広まった曲「サタデー・ナイト」でよく知られているのはレスリー・マッコーエンの歌う「サタデー・ナイト」だが、そのバージョンはイギリスではシングル・カットされていない。

実は、この曲は二つのバージョンが存在する。

ベイ・シティ・ローラーズはアラン(b)とデレク(ds)のロングミュアー兄弟と初代ボーカリストのゴードン・ノビー・クラークが1965年に結成したサクソンズ(The Saxons)というバンドが前身となっている。

そしてこの曲はこの初代ボーカリストであるノビーが在籍していた時にレコーディングされた曲なのだ。

1971年ノビーは彼らと共にデビュー・シングル「朝まで踊ろう」をリリースするため初めてスコットランドを離れロンドンのオリンピック・スタジオでレコーディングに臨んだ。

ところが、レコーディングのためにスタジオに入ると曲はすでにスタジオ・ミュージシャンによって完成されており、彼らの初期の他のシングルもほとんど彼らの演奏ではなかった。(彼らは演奏できないと思われていたのだ)

「朝まで踊ろう」はチャートに入るヒットとなり、1972年の3枚目のシングル「いとしのマナナ」は「ラジオ・ルクセンブルグ・ソング・コンテスト」で一位を獲得、こうして彼らは地元エジンバラでは注目されるバンドとなっていった。

そして次はイギリス全土とアメリカでも一位を獲得するような曲をつくろうというチャレンジに出て、レーベルはクリフ・リチャードやエルビス・プレスリーにも曲を提供したことのあるビル・マーチンとフィル・コールターのソング・ライティング・チームを採用することにし、彼らはBCRのために4曲を書き上げた。

だが、そのときもすでに完成したバッキング・トラックに歌を吹き込んだだけでその4曲をレコーディングしたのだが、その中の一曲があの「サタデー・ナイト」だった。

この曲はビルの家の近くにあるパブのオーナーの姉が大のローラーズファンで、いつも歌を歌っていた。彼女は彼らのことをB-a-y C-t-yという風にスペルを歌でつづっていた。それを見た瞬間に彼はS-a-t-u-rという案が浮かんだという。

そのようにして生まれた4枚目のシングル「サタデー・ナイト」は1973年6月にリリースされるも期待に反しこの曲がヒットすることはなかった。

そして以前からマネージャーとうまくいかず脱退を考えていたノビーは5枚目のシングル「思い出に口づけ」の録音を最後に脱退し、ノビーの代わりに18歳のレスリーが加入することになっていた。

ノビーはテレビ番組の「トップ・オブ・ザ・ポップス」でこの曲を歌ってから辞めることになっていたのだが、当日BBCのスタジオに行くと「前日にバンドがレスリーとやってきてもう収録は終わっている」と告げられたのだった。

レスリーは「トップ・オブ・ザ・ポップス」でノビーの歌声に合わせて「口パク」をしてごまかしたのだった。

この番組への出演はバンドにとって次の飛躍への重要なステップになった出来事で、このときから彼らのコスチュームであるタータン・チェックは徐々にイギリス全土に広がっていった。

そしてシングル・レコードではヒットしなかったものの「サタデー・ナイト」は彼らの重要なレパートリーとなってライブでは必ず演奏されるようになっていった。

マーチン&コールターの手による続くシングル「ベイ・シティ・ローラーズのテーマ」(1974)もヒットし、ヒット曲を集めたアルバム「エジンバラの騎士」は全英ナンバー・ワンとなり75年の9月彼らはアメリカの人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」に衛星中継で出演した。

そして、その4ヶ月後の1976年1月「サタデー・ナイト」は全米ナンバー・ワンに輝いたのだった。

その後、最年長のアダムが抜け,メンバーはイアン・ミッチェル(1976~1976)、パット・マッグリン(1976~1977)に変わる。

しかし、マーチン&コールターのプロデュース期間が終わるとローラーズはほかのプロデューサーや自分たちの手で曲を作るようになっていき、1977年にリリースされたアルバム「恋のゲーム」はそれまでのアルバムに比べてとても複雑になった音作りでもうかつてのあのさわやかなアイドル・バンドではなくなっていた。

若い女の子たちを引きつけるような特別なものはもう何もなかったのである。

Personel
Leslie McKeown (vo)
Eric Faulkner (g)
Stuart "Woody" Wood (g,b)
Alan Longmuir (b)
Derek Longmuir (ds)
Ian MItchell (g)
Pat McGlynn (g)
Duncan Faure (vo,g)

Saturday Night

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