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レイ・チャールズ(Ray Charles) - The Genius Hits The Road
2013-01-03 Thu 16:27
レイ・チャールズ(Ray Charles) - The Genius Hits The Road    1960 ☆☆☆☆

Genius Hits the Road

1. Alabamy Bound
2. Georgia On My Mind
3. Basin Street Blues
4. Mississippi Mud
5. Moonlight In Vermont
6. New York's My Home
7. California, Here I Come
8. Moon Over Miami
9. Deep In The Heart Of Texas
10. Carry Me Back To Old Virginny
11. Blue Hawaii
12. Chattanooga Choo-Choo

1960年、すでにスタンダードとなって久しいジョージア・オン・マイ・マインドはレイ・チャールズによって再び大ヒットした。

この歌は1979年にジョージア州の州歌に制定されている歌だが、アメリカ人、特にジョージアの人たちにとっては特別な歌でその中でもレイの歌には特別に思い入れがある曲だ。

この歌は1930年ニューヨークの銀行マンであるスチュアート・ブレルが作詞し、ホーギー・カーマイケルによって作曲された歌で多くの人に歌われているが、その対象は必ずしもジョージアという地名に限られてたわけではなくジョージアという女性の事を思って歌われている。

一例として、この名歌はジャジーなサッチモを始め、スペンサー・デービス・グループのスティービー・ウインウッドがレイを意識したボーカルでカバーし、ジェームス・ブラウンはあの独特のシャウトで歌い、この日本でも1960年に水原弘が歌っている。

レイは1930年ジョージア州に生まれてフロリダの小さな村グリーン・ビルで育った。

極貧の生活は黒人の中でも最下層で私たちの下には地面しかなかったという位ひどいものであった。

しかし、まわりには暖かい人が多くいて小さな雑貨屋のジューク・ボックスにはいつも音楽が流れていた。

7才で緑内障で失明し、15歳で孤児となった彼の心には幼いころから教会で歌い親しんだゴスペルが響いていた。

「神への賛美」ゴスペル。

さまざまな迫害にあった黒人たちが神に救いを求め生み出した音楽。

そこには黒人たちの魂の叫びがこめられている。

盲学校時代に作曲を覚えたレイはダンス・クラブのピアニストとしてデビューしたが、レイはとてもタフで賢い男ではあったが、けっして感じのいい男ではなく乱暴なオトコだったようだ。

だが、音楽になるとちがっていて彼は音楽を通して人々の心に触れることができた。

レイは盲目になる直前に目の前で弟が溺死するのをみている。

そして母親も亡くしたレイはひどい鬱状態になっていたが、どのときも近所に住んでいた女性がレイを強く抱きしめ「大丈夫よ」となぐさめてくれた。

彼はそういう子ども時代の体験、つまり深い悲しみの中にいたときに誰かに共感してもらい、他者の愛との共感によって癒されたという体験を持っている。

彼は音楽を通していつもそれを表現しようとしていた。

つまり音楽を通して世界中の人々の心にふれたかったのだ。

「俺もあんたも同じ人間だ だから一緒なんだ」と言おうとしていた。

そしてレイはそれまでになかったゴスペルとブルースを融合させた音楽スタイルであるソウル・ミュージックという概念をつくりあげた。

レイのバック・シンガーだったメイブル・ジョンは言う。

「わたしたちは『我が心のジョージア』のような曲をレイが演奏しているときはいつも舞台の袖に立っていた。

そんなとき、わたしたちはお金を払ってきているお客さんと同じくらいワクワクしながらレイの演奏を聴いていたものよ。

その日のレイの気分や観客の気分によって曲の感じが変わるのでまったく違う曲のように聴こえたわ。

もちろんメロディは同じだけれど、レイには時々ある種のフシギなハートやフィーリングが降りてきてまるで見えない世界に向かって歌っているようになるの・・・

レイはどのステージもそれが人生最後のステージであるかのように演奏したわ・・・

彼は人々のリクエストに答えるだけでは満足しなかった。 

自分が与えたいと思う「贈り物」を人々に贈ったのよ・・・

彼は単にリクエストに答えたのではなく相手に『贈り物』を与えたの、『贈り物』というものは要求するものではなく相手のハートから受け取るものなのよ・・・」

90年代からレイのアレンジャーだったビクター・バナコアは言う。

「幸運にもレイは泣いているかのような声を持っていてその声で歌うんだ レイは歌うと大人になるまでの集大成としての感情がすべて出てきた。すべてをあの声に込め、血液や指や手と同様に音楽は彼の身体の一部だったのさ」

1955年「アイ・ガッタ・ウーマン」が大ヒットし、その後もゴスペルとブルースを融合した数々のヒット曲を生み出す。

しかし、こんな非難も浴びた「かれの歌は教会の音楽をバーやダンス・クラブで人々を躍らせる音楽だ。それは神への冒涜だ」と・・・

彼は、1959年黒人アーティストが所属する小さなレーベルから大手のABCパラマウントへ移籍し黒人リスナーだけでなく大勢のリスナーを獲得しようとした。

そしてニューヨークのABCパラマウントのレコーディング・スタジオで録音されたのがこのアルバム「Ray Charles The Genius Hits The Road」でこのアルバムは12の州のご当地ソングを集めたコンセプト・アルバムだった。

そして編曲と指揮を担当したのは当時ジャズ界で名を馳せていたラルフ・バーンズで「我が心のジョージア」はシングル・カットされグラミー賞を初め数々の賞に輝いた。

「彼はいつも自分が気に入る曲を探していた。

自分が歌えてみんなに愛されるような曲だ。

そうすればすぐにポピュラーになると思っていたんだ。

ある日レイは車の後部座席で「我が心のジョージアよ・・・」と何気なく歌っていた。 

すると運転手が「その曲をレコーディングしたらどうですか?きっと愛されますよ」と言った。

それがあの曲がリバイバルしたきっかけになったのさ・・・」  マイケル・ライドン

レイほど音楽の素晴らしさを享受しそれを世界に与えた人はいない。

Georgia On My Mind
 

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