スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
ザ・ウェイト(The Weight) - ザ・バンド(The Band)
2013-04-22 Mon 16:14
ザ・ウェイトは1968年の彼らのデビュー・アルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」に収められた曲で"アメリカ音楽の原風景"と讃えられる唯一無二のサウンドは多くのミュージシャンに衝撃を与えた。

1968年に彼らのこの「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」が出たときは晴天の霹靂とでも言えるようなそんな印象で何気ない音楽でありながらあの時代にあのような音楽を作っている人たちというのは全くいなかったからだ。

時代はクリームやジミ・ヘンドリックスなんかのギンギラギンのブルース・ロックやサンフランシスコを中心としたサイケデリック・ロックのまっただ中でその中にいきなりあの渋さとはホントにびっくりするものだった。

新しいといえば新しい新鮮なサウンドではあったものの100年前のアメリカの音楽を再現していると言われてもおそらく信じられる音をしているし、現在ではちゃんと成立しているアメリカのルーツ・ミュージックというジャンルは彼らによって確立されたと言っても過言ではない。

1969年の8月、3日間にわたって行われたウッド・ストックはサイケとヒッピーを象徴するイベントとなったが、このフェスティバルの会場からおよそ北東へ80キロ、森にかこまれた静かな町ウッド・ストック。

古くから多くの芸術家が創作に適した環境を求めてこの町に集まり、69年のフェスティバルもそうした伝統にちなむものだった。

その近郊の森にたたずむ「ピンクの家」この名盤のタイトルはザ・バンドのメンバーが住んでいたこにお家から来ている。

「ビッグ・ピンク」は彼らが生活を共にしながらその唯一無二の音楽を練り上げていった場所だった。

レイドバックした音、静かに満ちてくる郷愁、土臭いアメリカそのものの音楽。

彼らの代表曲「ザ・ウェイト」は映画「イージー・ライダー」でも印象的に使われ人々の記憶に刻まれた。

それは音が描き出すアメリカでザ・バンドにしか出来ない音楽がそこにあった。

「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」ボブ・ディランの絵がジャケットを飾るこのアルバムでザ・バンドはデビューした。

アルバムをプロデュースしたのはジャニス・ジョップリンの「チープ・スリル」なども手がけた才人ジョン・サイモンだ。

「あのアルバムで何より新鮮なのはアップ・テンポのナンバーで始めなかったことで、とてもメランコリックな『怒りの涙』という曲で始まる。

彼らの発明はバック・ビートを半分に落としたことだ・・・・テンポを少し遅らせる・・・

ザ・バンドの曲はコードもメロディも典型的なロックンロールとはまったく違う、曲の構造もポップスの定石とは似ても似つかず親しみやすいのにとても複雑なことをしている。こんな複雑なことをやったのはバンドが初めてだった」 - ジョン・サイモン

ザ・バンドの5人は60年代初めから活動を共にしていてアメリカ生まれのリーヴォン・ヘルム以外はみんなカナダ人でいずれもカントリーやR&B、古いトラディショナル・ソングなどルーツ・ミュージックを良く知る若者だった。

やがてボブ・ディランのバック・バンドとなった彼らは1967年ディランと共にビッグ・ピンクの地下室にこもりプライベート・セッションを重ねた。それはバイク事故によりリハビリ中のディランがやり場のないエネルギーを注いだ実験的なものだった。

そして人々は日夜ディランと行動を共にするメンバーをあのバンド、「ザ・バンド」と呼ぶようになった。

濃密な時間の中でディランの創造性に触発されながらメンバーの豊富な知識とアイデアは自然に溶け合っていく、そうしてザ・バンド独自のロックは生み出された。

その核は、ガース・ハドソン。プロフェッサーの異名をとるザ・バンドの知恵袋。

「ザ・バンドの音にもその他の曲にもわたしは聖歌のメロディを取り入れるようにしてきた。だから多くの人がそれに気づくようで皆どこかで聴いた賛美歌のようだと思うようだ。日曜日にテレビをつけると教会で賛美歌を歌っている1930~40年代と変わらない時の歌だ」 - ガース・ハドソン

そしてザ・ウェイトについてもガースは語っている。

「あのメロディはオリジナルなのだろうか?と君は思うだろう。だが、空気中には何十万ものさまざまな音楽が漂っている。例えば賛美歌、フォーク・ソング、ジャズ、1920~30年代のポピュラー音楽など、かなりレベルの高い音楽が漂っていて我々はそれを断片的に耳にしている。

デルタ地方のブルースマンが誰かの家から聞こえてくるラジオに耳を澄ます。その音楽の断片が彼らのメロディに入っていく、そういう融合は常にあったはずだ。聴いたこともないようなメロディを作るそれは驚異的なことだ」 - ガース・ハドソン

深く豊かな音のカオス、ギターのロビー・ロバートソンによる「ザ・ウェイト」は、その歌詞の難解さでも知られさまざまな解釈がなされてきた。

♪ 俺は半ば死んだような気分で
 ナザレスの町に入って行った
 とにかく横になる場所が
 欲しかった

 "なあ旦那、教えてくれよ
 どこに行ったら寝床は見つかるんだい?"
 奴はニヤッと笑って握手して
 "ねえよ"とだけ言った

 よしきた、まかせな
 重荷を降ろして自由になりな
 その荷物は俺が引き受けるから
 遠慮なく俺の背中に乗せな ♪

歌詞全体の雰囲気を見ても寓話のような物語になっていて一つ一つの描写はそんなに分かりにくいものでもないのだが、どういう意味なのかはよく分からない。

歌詞のなかに出てくる「ナザレス」というのはあの聖書に出てくるキリストが誕生した町の名前だ。

だからかなり多くの人が聖書に関連する話だと思っていると思うんだが、このザ・ウェイトって曲はこのビッグ・ピンクの中で唯一アコースティック・ギターが使われた曲でその時に使われたギターはマーチンD-28というギターだった。

実はこのギターの真ん中に開いている丸いサウンド・ホールにその秘密らしき言葉があったのだ。

ある時、ロビーがそのギターを使って曲を作っていた時、そのギターのサウンド・ホールの中を覗いたらしい、このマーチンの工場はどこにあるかって言うとペンシルバニア州にあるナザレスなのだ。

それでロビーはそれを見て「こりゃ、面白いな!」っと、多分彼の頭の中ではこのペンシルバニアのナザレスと聖書の中に出てくるナザレスと両方を引っ掛けたアイデアだったのかも知れない。

「僕にとってザ・バンドというのはビートルズやローリング・ストーンズと同じくらい重要な存在で彼らがひとつのグループになった時そこに音楽のマジックが生まれ、メンバーの相性の良さが個性を最大限に融合させあのような音楽を生み出したんだ。

僕はその一員になれて幸せだし、僕の目の前で彼らは進化していった。ザ・バンドには名曲がたくさんあるがどれを聴いても僕は『故郷』を思う。山々の景色、育った家、カントリーとブルースがひとゆになる一番心地よいサウンドなんだ。」ジム・ウィーダー 再結成後のギタリスト

リチャード・マニュエルは1986年、自ら命を絶った。

リック・ダンコも99年に急死。

ガース・ハドソンは今なお健在でコンピュータによる音楽事業や他のミュージシャンのセッションなどにも参加し精力的に音楽活動を行っている。

「ザ・ウェイト」の作者ロビー・ロバートソンは1976年以降主にプロデューサーとして活動、4枚のアルバムを発表したが98年の「"Contact From The Underworld Of Redboy"が最後の作品となっている。

アメリカン・ロックの真髄とも言えるべき聖なる領域に踏み込んだ5人の男たちその孤高の軌跡は数々の名曲と共に決して消え去ることはない。

そして、現在ザ・バンドとしての活動は行われていない。

The Weight


別窓 | 永遠の名曲 | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<ドント・ストップ・ビリーヴィン(Don't Stop Believin') - ジャーニー(Journey) | こよいち | 浜昼顔 ー 五木ひろし>>
この記事のコメント:
コメントの投稿

管理者だけに閲覧

この記事のトラックバック:
| こよいち |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。