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ドック・オブ・ベイ(The Dock Of Bay) - オーティス・レディング(Otis Redding)
2013-02-07 Thu 05:01
淡々とした歌なのにこの歌はいつものオーティスとはどこか違っている。

この曲は、作詞・作曲はオーティス・レディングとスティーブ・グロッパーで、歌ったのはもちろんキング・オブ・ソウルと呼ばれたオーティス・レディングで彼の代表作「ドック・オブ・ベイ」はビルボード誌の週間ランキング第1位を4週連続で記録し年間ランキングも第6位を記録している。

オーティスをリスペクトするアーティストは多く1987年のマイケル・ボルトンのトップ40に入るヒットを始めこの曲には多くのカバーが存在する。

大ヒット映画「トップ・ガン」にも印象的に使われたし日本の忌野清志郎なんかもオーティスを敬愛するミュージシャンの一人だった。

オーティス・レディングは1941年9月9日ジョージア州ドーソンに生まれ、おさない頃メイコンに移り住み、生涯この街に住みつづけた。

近くの教会の合唱団でゴスペルを歌う一方ジョージア州が生んだミュージシャンたちの歌を聴き影響を受けながら育っていった。

高校生のころには地元のシアターで行われたタレント・コンテストで優勝し地元では歌が上手い人気者となっていったが仲間と自作の曲をレコーディングするものの世間の注目をあつめるには至らなかった。

長年親交の深かったスティーブ・グロッパーはオーティスを表現するとき「リトル・リチャードにサム・クックを加えてよく攪拌するとオーティス・レディングができる」と言っていた。

リトル・リチャード流のエネルギッシュな歌い方もサム・クック的なソウル・バラードをも歌い上げることができるからで彼はこの2人の才能を持ち合わせていた。

スティーブ・グロッパーはオーティスと共にいくつもの曲を作りプロデューサーでもあったが、彼がオーティスと最初に出会ったいきさつは1962年のある日、ミュージシャンのジョニー・ジェンキンスのバンド・シンガーの一人としてスタジオに一緒に来たのが最初だった。

しつこく俺の歌を聴いてくれという奴がいたので聴くことになったのだそうだが、その男が ♪ These arms of mine ♪ と歌い始めたその途端、それまでにあんな声は聴いたことがないくらい素晴らしく息が止まり腕の毛が逆立つほど感動したと言う。

そしてオーティスはただちに社長に紹介され、その場でレコーディングの話になりその曲"These arms of mine"はレコーディングされ、80万枚のヒットとなった。

スタックス・レコードの黄金時代を担ったホーン奏者ウェイン・ジャクソンは言う。


「オーティスの声には『ソウル』がこもっていて魂の底からの歌声だった。ソウルフルな声と荒削りな声が完璧にマッチしていてオーティスが口を開けるたびににスタジオ中に魔法が広がった。

彼はとても背が高く大柄で彼の興奮は直に伝わり彼がスタジオに入ってきただけで僕らは興奮した。生まれついてのスターだったんだ。

いつも自然体なのにスターの強いオーラが常に出ていてオーティスのそばにいるとそのオーラに包まれすごい高揚感を憶えた。そして彼の歌声は聴く人を高揚感で包んでいったんだ」


オーティスは休む間もなくアメリカ全土を飛び回りそのエネルギッシュでソウルフルなステージは人種の壁をも超え1967年の春にはスタックスによるヨーロッパ・ツアーが行われオーティスの人気はヨーロッパでも高まった。

そしてアメリカでオーティスの人気が頂点に達したのが1967年の伝説の野外ライブのモントレー・ポップ・フェスティバルだった。

この歴史的フェスティバルの中でオーティスはジミ・ヘンドリックスと共に最高のステージと称されたが、このフェスティバルのあとオーティスは喉の異変を訴えポリープ除去の手術を受けしばらくライブ活動を休み曲づくりやレコーディングに時間が当てられた。

その時に生まれたのがこの「ドック・オブ・ベイ」でスタックスのスタジオにいたスティーブ・グロッパーはオーティスからの電話を受けた。


「オーティスが空港から電話をかけてきて僕がスタジオにいることを確認した後に『これからスタジオに行く!ヒット曲ができた!』と続けたんだ。

オーティスが『ヒット曲ができたからこれから直接スタジオに行く』なんて言ってきたことは長い付き合いの中で初めてのことだった。そして30分後には本当にスタジオに現れ、『ギターを持って来い!』と急かした。

ギターを持ってくるとオーティスはギターを弾きながら♪ Sittin' in the mornin' sun I'll be when the evenin' come ♪と一気に歌いだした」


サンフランシスコの対岸にある風光明媚な街サウサリート、オーティスはこの街のボート・ハウスに滞在していたときにこの曲を作ったのだった。

そのことについてスティーブ・グロッパーは語る


「ここでいう船とはオークランドとサウサリート間を往復しているカー・フェリーのことだ。港で車と乗客を降ろしまた出航するフェリーの後には大きな波がたつ、オーティスはそれを歌詞にしたんだ。"Watching the ships roll in"というのはフェリーの後の波を眺めているという意味だ」


歌詞の半分は出来上がっていたが残りはスティーブと2人で書き上げてレコーディングに挑んだ。

だが、12月8日金曜日、オーティスはステージやテレビ出演の仕事がありバック・バンドのThe Bar-Kaysとともにスタジオをあとにする。

この数日後オーティスとThe Bar-Kaysを乗せた飛行機はウィスコンシン州モノナ湖に墜落する。

ある意味この曲の人生を悟り切ったような歌詞の内容はあらかじめ彼の死を予期していたのかもしれない。

♪ 朝日を浴びてたたずむ
きっと夕暮れ時もこうしているだろう
船が入ってきては
また海へ出て行くのを眺めている

入り江のドックに座って
潮が満ち引きするのを見ている
入り江のドックに座り
ただぼんやりと時間をつぶしている

故郷のジョージアをあとにして
サンフランシスコ湾に向かった
生きがいなんて何もなかった
何一つ思うようになりそうもなかったから

だからただ・・・
入り江のドックに座って
潮の満ち引きを見ている
入り江のドックに座り
ただぼんやりと時間をつぶしている ♪

リリースされたときにはオーティスはもうこの世にはいなかった・・・享年26才

Otis Redding 1941.9.9 ~ 1967.12.10

The Dock Of Bay

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